1Fでは、中岡慎太郎の人生を同時代人の目線で追いかけていただくために、史実に基づき年代ごとに時系列で展開。
非業の死を遂げた慎太郎の生涯を、映像とパネルを中心にドラマチックに再現。
- モニターに映し出される混迷の様相。トンネルに入ると、そこはもう幕末。通り抜ける人を確実にタイムトリップさせてくれる。
- 庄屋としてうまれながら、武士よりも武士らしかった慎太郎の気迫あふれる表情を余すところなく再現。
- 幼年期のすべての時間を学問に費やした慎太郎の勉学への情熱と少年期の勇気あふれる逸話を紹介。
- 武市半平太との運命的な出逢いを通じて、慎太郎が大道に目覚めたいきさつを紹介。清岡道之助などと共に、文武両道に励んだ日々がここにある。
- 安政の大地震により多大な被害を受けた北川郷。
飢饉時の米倉のエピソードや柚子の栽培など、農民のために郷内をくまなく駆け巡った慎太郎の情熱を紹介。 - 武市半平太を盟主とする土佐勤王党に参加。慎太郎は尊攘派の志士として、国事に疾走するようになる。
やがて、熱くたぎる血は、妻・兼(かね)との今生の別れを強いる結果を招く。 - 土佐を脱藩した慎太郎が、三田尻に入り石川清之助の変名で活躍した様子を紹介。禁門の変の戦いに加わり、父に遺言を書いたのもこの頃である。
- 犬猿の仲となっていた薩摩と長州の連合の可能性を見出し、龍馬と共に東奔西走した様子を紹介。さらに薩長連合成立前後の人物相関図や同時代を生きた志士たちの証言から、慎太郎の功績にスポットを当てる。
- 龍馬の海援隊に対して、陸援隊を組織して、徳川幕府を倒すための準備をしていた頃の慎太郎を紹介。
- 「倒幕」ではなく、あくまで武力で徳川幕府を倒す「討幕」を主張した慎太郎。維新回天の実現のために、何を求め、如何に行動すべきかを同士たちに説いた「時勢論」をもとに、維新志士・慎太郎の思想に触れる。
- 慎太郎と龍馬という二人の英傑が、どのように刺客に斬られたのか?
「刀をおいておかなかったことこそ不覚」といった慎太郎の遺言は、何を伝えようとしたのか?
大型スクリーンに展開されるクライマックスは、見る人の魂を揺さぶる大迫力シーン。 - 維新回天に命を賭した慎太郎の生涯を描いた映画「中岡慎太郎」と北川村近隣の慎太郎ゆかりの地を紹介した映像を放映。
脱藩後、一度も北川の地を踏むことができなかった慎太郎の想いが胸中に蘇る。
2Fでは、中岡慎太郎や慎太郎と交流のあった幕末の志士たちの資料を中心に展示。
遺された刀剣や書物といった様々な資料から、慎太郎が生きた幕末と慎太郎の人となりについて紹介。
- 龍馬・慎太郎が斬殺された際に慎太郎の横にあったもので血痕が53ヶ所残っている。
- 慎太郎ゆかりの品々や慎太郎と交流のあった人々の肖像画・書簡掛軸などを展示。
- 中岡慎太郎と慎太郎の関わりのある幕末の志士たちの資料を揚げて、年に2〜3回企画展を開催。
- 幼少期に王羲之風の書を極め、達筆であった慎太郎。
武市半平太に剣を習い、倒幕のための戦いにも積極的に参加した慎太郎。文武両道の士であった彼の剣と書について紹介。
※館内の展示については定期的に変更する場合があります。
【展示構成と主な展示資料】
- 大庄屋見習い
- 土佐藩手形/「浜宇津並新井帳入」(ハモド開墾関係の古文書)
中岡小伝次「指出」(控新井竹次郎行方不明の届) - 幕末の志士
- 中岡慎太郎書状 山本左右吉宛(複製)/三条実美公履歴 全五巻
土方久元書/清岡公張書/香川敬三短冊) - 慎太郎死後の陸援隊
- 「御親兵使番任命 戊辰2月(慶応4年)岡田かん助」
「太政官感状 慶応4年3月8日 岡田かん助」
辞令「軍曹廃止、貫属士族」(明治4年)3月 岡田かん助
河島長正書状 明治4年12月3日 岡田かん助宛
岡田かん助略歴/岡田かん助、その他肖像写真
人物写真5点(湿板写真)
岡田かん助写真
岡田かん助海外留学の辞令
慎太郎裃
中岡家茶碗、硯箱
慎太郎が愛用していたと伝わる硯箱。
上蓋に中岡家の家紋をあしらった漆塗り硯箱。
明治十三年、中岡家が引っ越す際、村人に形見分けされた物である。
慎太郎の結納目録
- [設立・運営]
- 北川村
- [総事業費]
- 6億円(周辺整備を含む)※この中に竹下内閣による「ふるさと創生資金」が含まれる。
- [館の性格・目的]
- 中岡慎太郎の生涯・業績の紹介と顕彰活動を行う歴史資料館
- 慎太郎関連資料の収集・整理
- 慎太郎関連情報の受・発信
- [館の特徴・めだま]
- 映像機器を駆使して、現地でのロケ等も交えたドラマで、慎太郎の生涯と明治維新を紹介。
2階の常設展示・多目的ホールでの企画展等で、生の資料を展示し、当時の人々の息吹を感じることが出来る。
館が建つ柏木地区は、慎太郎の生誕地である。それ故館周辺には、慎太郎生家・慎太郎遺髪理葬墓地・慎太郎顕彰碑(田中光顕揮毫)など慎太郎に関する史蹟が多い。近年日展会員の彫刻家江里敏明氏作製の中岡慎太郎銅像が館前に建立される(1999年(平成11)4月13日建立)
周囲には自然と史蹟等があり、ハイキングや散策が行える。鳥ヶ森ハイキング片道90分 - [入館料]
- 一般(高校生以上)500円・小中学生300円
- 団体料金は20名以上より、各100円割引
- ○【無料】 ●身障者手帳1・2級所持者とその介護者1名 ●北川村民
- [休館日]
- 毎週火曜日(祝日の場合はその翌日)
- 12月28日~1月2日
- [建設の背景]
- 1988年(昭和63)に中岡慎太郎生誕150周記念を迎える。
↓ - その前年に、北川村を中心とする中芸5ヶ町村の青年や女性が中心となって、「中岡慎太郎を表舞台に出す会」が結成され、吉田喜重監督による記録映画作製とその資金集めの募金運動を展開する。この時作製された映画「幕末に生きる」は、文部省(現、文部科学省)の選定作品に指定される。
↓ - 慎太郎の映画祭、記念コンサート開催、慎太郎グッズの作製・販売、テーマソングの公募、記念講演などの事業を行う。
- 行政主導による生誕150周記念事業実行委員会を組織し、生誕祭や歴史フォーラム、脱藩の道ハイキング、青年団による記念コンサート等を開催。
↓ - 1989年(平成元)の「ふるさと創生資金」一億円の使い方について、住民のアンケートを行った結果、一番意見の多かった、中岡慎太郎の歴史記念館の建設に決定。
↓ - また、現在の館の名称は、全国から公募して決定したもの。
- 1991年(平成3)から柏木地区に着工、1993年(平成5)完成